2016年9月に開催された「やちよの梨味自慢コンテスト」で、マル文梨園の宮崎貴文さんが見事!1位の『八千代市長賞』を受賞されました!おめでとうございます!
2007年09月22日
“阿蘇ナシ”の名で全国各地に出荷されている八千代の梨。大正初め頃、現在の村上地区では水田が少なく貧困に悩まされていましたが、「麦や芋、養蚕に代わる何か良い農作物はないか?」と、梨の栽培に着手した宮崎B(キヨシ)さんと宮崎規矩治(キクジ)さんお二人が梨の苗を植えたことが始まりだそうです。人生をかけて梨の育成・普及を行った並々ならぬ努力のお陰で、今では“梨”が八千代の特産物となったわけですが、その功績を讃えて七百餘所神社(しちひゃくよしょじんじゃ)の県道を挟んだ向かい側に「頌徳之碑(しょうとくのひ)(→詳細はこちら)」が建立されたほど。
今回お伺いした豊梨園(ほうりえん)さんですが、実はその八千代の歴史に名を刻んだ“キヨシさん”をお祖父さんに持つという、何とも由緒正しい?梨園だったんです!
キヨシさんのお孫さんにあたるのが、豊梨園(ほうりえん)のご主人宮崎敏勝さん。現在は4代目となる息子さんも一緒に梨を生産されています。樹齢約90年を迎えるという八千代の元祖梨、今も大切に木々を維持されている豊梨園さんにお話をお伺いしてきました!
場所は村上にあるイズミヤに隣接した新川側の道を、16号(柏方面)へ向かって道なりに進んだ左側にあります。ピピゴルフの看板がある交差点よりもひとつ手前の細道を入ると(図@)、お墓の一角があるのでそこを左折(図A)。木々に囲まれた道を進んでいくと(図B)上下二股の分かれ道に出るので(図C)、ここも左側へ。その先が豊梨園の駐車場です(図D)。この砂利の駐車場へ停めたら、畑の前に建っている直売所へ(図E)。途中、誘導する看板も旗もないので、まさかこんなところに直売所があるなんて思いもしません。“知っている人だけが知っている、隠れ家的梨園”といったところかしら。
9月中旬に差し掛かったこの日、今は豊水(ほうすい)が最盛期。「今年は特に大玉に成長したんですよ。」とおっしゃる通り、箱詰めしている手元の梨は、どれもはち切れんばかりの立派なものばかり!6Lサイズ級がゴロゴロしています。さらに右奥には、最近“なかなか市場に出回ることのない高級梨”としてテレビでも話題になっている、青梨系「かおり」も販売されていました。
豊梨園は、幅広の直売所に隣接して梨畑が広がっています。ベンチに腰をかけると、視界一杯の梨の木に圧倒されてしまう!この見渡す限りの枝葉を支えている太く立派な木々というのが、八千代の梨を特産物にまで成し得たキヨシさんが大正当時に植えたものなんです。樹齢90年・・・うーん、一切れ口にするだけで何か御利益がありそうだわ。
そんな年季の入った梨の木を、いかに健康なまま維持・育成するかということにポイントを置いた栽培に努めていらっしゃいました。
「とにかく木が元気でいられるような配慮をしています。人工的なものは出来るだけ省き、より自然な状態を保つようにしているんです。例えば農薬散布には、特に気を使っています。減農薬を進めている梨園さんは多いですが、大抵は害虫対策として8月頃に一度散布をします。その場合、散布後24時間経てば収穫可能という農薬を使用するので安全なんですが、うちではそういう農薬も収穫時期には一切使いません。収穫時期を迎える少し前から完全無農薬状態を保っていますから、多少の虫害は仕方ないのですが、とにかく目配りを第一に何とか薬に頼らず頑張っていますよ。」
土づくりにも化学肥料は使用せず、大豆かすや菜種油かす、魚骨などの有機肥料を利用しているそう。さらに、土壌を自然と豊かにしてくれる“草生(そうせい)栽培”も取り入れていらっしゃいました。一見すると草むしりをしていないようですが・・・この状態を保つことによって、枯れた草が緑肥(りょくひ)となったり、草の根っこが土壌を柔らかくしてくれる作用があったりするそうです。
また、市内でも広く利用されている“害虫交信かく乱剤(→詳細はこちら)”も導入されていました。
そういえば、豊梨園さんの梨には全部袋をかけているんですね。
「いや、全部ではないですよ。直売所の正面が新高の畑なんで、そう映るかもしれませんが、かけているのは新高や20世紀だけです。幸水や豊水は果肉が柔らかい品種なので日に当てても問題ないんですけどね、直射日光にさらすと甘みが増す代わりに肉質が固くなるんですよ。新高などは昔ながらの品種で元々固めですから、健康日で育てるとさらに固くなってしまいます。
ほかにも、7月から一度も農薬散布をしないわけですが、新高はその年の終盤の梨です。それだけ長い間木にぶら下がっていると、病気や虫害に遭いやすかったり、何かの拍子に傷がついたり、埃がかぶってしまったりします。大玉に成長するので贈答用として売れることが多いですし、やはり見た目が汚くなると商品になりませんからね。
人間だって、紫外線から身を守るために日焼けするでしょう。それと同じように、梨も色素が強くなって赤黒くなってしまうんです。甘さはそこそこにありますから、それよりは食感と見た目を維持するためにも、こうして袋をかけたくらいが丁度良いんですよ。」
木を健康に育てるためのこだわりとして、畑に網を張らないというのもあるんだそう。網をかけると、いくら目の粗いものを使用したとしても風通しの良さとなると、網をかけないのが一番とおっしゃいます。
「風通しが悪いとね、どうしても空気の循環が悪くなって温室状態になりやすいんですよ。すると、網を使っていることも相まってダニが付きやすくなります。それに日光も、やっぱり多少は遮られてしまいます。病気にかからないようにするには、木が強くあってこそ!日陰育ちよりも、100%太陽エネルギーを吸収して育った木のほうが、やっぱり病気に強くなります。とにかく自然の陽の光を浴びさせることで、いつまでも木が元気でいられるようにしているんですよ。」
一方、網をかけないことで鳥対策に追われるという苦労もあるとか。確かに始終パーンパーンという鳥避けの爆音が鳴り響いていましたが、これは網をかけないで育てるための策なんです。
鳥だけではありません。自然な環境で育てるということは、気候による被害の影響を、もろに受けてしまうということでもあるのです。
「先日珍しく関東を直撃したあの台風でも、ゴロゴロと実が落ちて後始末が大変でした。落ちた実を何とか拾いあげましたが、今でも筋肉痛ですよ。強風に加えて、不意に降られるヒョウもかなりの痛手です。柔らかい梨の実に当たれば、すぐ穴が空きます。木や枝の皮も剥けてしまいますし。
数十年前にも、ものすごく酷いヒョウの被害があったんですよ。丁度7月に入った頃、まさに収穫直前というときでした。竜巻のような激しい突風とともにね、大粒のヒョウが突然バアアーっと降ってきて、上へ伸びる枝が右へブワー!左へブワー!!と、吹き倒されたんです。あっという間に梨の実が、目の前で全部落下していきました。
あの時はもう、ほんとに見ていられなかったですよ。」
その年の梨は全滅。実ばかりではありません。特に被害のひどかった白井地区では、葉が根こそぎ吹き飛ばされ、深手を負った木々の中には植え換え以外に無い畑まであったそうです。何とか維持できた木でも翌年以降再び元気を取り戻し、実が正常に成るまで数年かかったと言います。
「もうここにある木は、人間でいえばおじいさん。ご老体に無理をさせれば、木が弱ってしまうんです。収穫量は限られてしまいますが、それでもある程度まで間引いて、1本あたりに生る実の量を調整しています。人間だって、20〜30代くらいの働き盛りの頃は、体力があるから多少の無理も乗り越えられます。けれども、まだまだ技術的には発展途上。数がこなせたとしても内容的にはこれからの域。逆に、熟練の業を習得した年配層は、若者が100出来るところ20位しか量がこなせないかもしれませんが、一つ一つ良い仕事をするでしょう。そういう差が、梨にもあると思っているんです。」
幸水などの新品種は、長く育てるというよりも30〜60年程度で植え替えてしまった方が良いものもあるとのことでしたが、新高や長十郎、20世紀など昔ながらの品種については、年を重ねるごとに深みを感じさせる「何か」があるようです。
樹齢90年の梨なんてそうそう見れる機会もありません。八千代を梨の街としても有名にしてくれたキヨシさんに思いを馳せつつ、梨畑を眺めに梨を買いにくるというのもまた一興。
村上梨集出荷場の隣にある石碑とセットで、ぜひ足を運んでみてはいかがですか?
●マル文 豊梨園(ほうりえん) 047-486-1156(兼FAX)
千葉県八千代市村上426(地図)
営業時間/10:00〜18:00
駐車場/有り
※「八千代ナビ!八千代の梨園マップ」豊梨園詳細はこちら